2011年05月17日
さて今年の9月開店をめどに恵子ママのcafe稼業も
いよいよスタートラインに立つこととなりました。
これから少しずつ日記にして(keikomamaのCafe物語 わはは)を書いていきたいと思います!
昔々あるところにフェルマータという素敵なcafeがありました。
札幌芸術の森の入り口の斜め向かいに位置するcafeで、
枕木を並べた階段、回りには可憐な野の花のような花が咲き乱れ
垢抜けたインテリアの室内・・手つくりケーキが最高においしかった。
そこにとてもとても素敵なママさんがいました。
才色兼備、頭脳明晰、明眸皓歯をじで行くような方でワンダフルでした。
でも性格は・・・白か黒しかない方だった、
うん、灰色という色はなかったような気がしますね(笑)。
曖昧模糊という字は彼女には必要がないように拝見していました。
優しくて美人で人に親切で、それでいて
自分に忠実で、自分の生き方を大事にし、
決して人の思惑で動くことのない方だった。
恵子さん、自分の1回だけの人生よ、思うように生きなきゃあ
すぐにうじうじと悩む私を見て
そういってお叱りを受けたこともありました
なぜかママさんに私は気に入っていただきました。
私の憧れの方でした、うん。
この札幌芸術の森には札響交響楽団の演奏場所もあり
このママさんの人柄にひかれてだと思うのですが
カフェ・フェルマータでは札響交響楽団の主席奏者様たちの
cafeコンサートをよく行っていました。
もう10年位前のことかなあ・・
店内は詰めて観客が30名くらいの広さでしょうか、
でも目の前で、演奏者様の息ずかいさえ聞こえる距離で
素晴らしい演奏が聴けるのです、
レストタイムには美味しいコーヒーとケーキ!、もう最高でした。
そんな中たまたま
ある日娘とお茶をしにフェルマータに行きましたら
めずらしくお客様が誰もいなくて、ママと3人でいろいろと話し込んでしまいました。
いやああ、フェルマータのような喫茶店を経営するのが夢なんですよ・・と、私
そんな私を見ながら・・ちょっと考え込んだ後にママさんは
じゃあ、恵子さん、このお店経営してみない?
あなたならお願いしてもいいなあ・・・と、フェルマータママさん
真剣な表情で言われるのです
吃驚しましたがきっと話のついでかなって、笑って済ませてしまいました。
そのすぐ後です、フェルマータママさんが悪性腫瘍に侵されて、
余命が1年くらいしかないと風の便りが届いたのは・・・・
そうしてフェルマータママさんから親しい方をお呼びしての、
カフェ・フェルマータさよならパーティのご招待状が届きました。
でも私パーティにはいきませんでした、切なくていけなかったです。
フェルマータママさんはその1年後くらいに亡くなりました
最後まで凛々しい生き方をされました。
私の生涯の目的であるギターによるデュオ演奏
そのデュオの名前は・・このカフェ・フェルマータから取らせていただきました・
カフェ・フェルマータのママさんの生き方、
生きる姿勢は私の音楽感に大きな影響を与えてくれました。
何時か・・何時か、ママさんのように
cafeを経営して、ギターライブや音楽の活動をしたいなあ・・・
あんな生き方をしてみたいなあ・・・
人生は・・・ほんとと短いよね
小さな小さな希望の灯が一つ灯りましたです、わはは